レッド・ライト ネタバレ考察的なものを

レッド・ライトについて追記。ネタバレしてます。

 

 

 

 

さて、とにもかくにもトム・バックリーはというキャラは胡散臭かった。

 

 

彼は超常現象ハンターの物理学者マーガレット・マシスンのさえない助手として登場する。

 

彼女を聡明な科学者として慕い親しく接する一方で、身の上や、超常現象ハントに対する自分の意思を全く語っていないという一面を見せる。だが、トムが好意を持っている学生のサリーには、母親が霊能者に関わり結果的に命を落とすという暗い過去があることを、たとえ話として仄めかす程度ではあるが、すんなりと語った。

 

このサリーに語った過去については後に、マーガレットとの軽口のやり取りの中で、まるで母親がいまだ健在であるかのような「母だって主婦だし」というセリフがトムの口から飛び出し、疑わしいものとなる。

 

そして、トムは自分を物理学者だと名乗るが、大学では心理学を教えている。

 

この映画は観客をだますことを公言している以上、どこかに必ず嘘がある。トムが各所でつく嘘は、彼に強い疑念を抱かせ、彼が映画の仕掛けのヒントであることを感じさせる。

 

そんな時にサイモン・シルバーは登場する。

 

トムはサイモンに対して過剰な反応をし、彼の言動や態度には、序盤で調査した霊能者や超能力者を語る人々に対するものとは明らかに異なる熱を帯び始める。その熱はマーガレットにも向けられ、彼女にサイモンを調査するよう積極的に働きかけるようになる。

 

なぜそんなにも、マーガレットにサイモンの調査をさせたいのか。

 

そこでひとつの構図が浮かぶ。マーガレットとトム、サイモンを結ぶ三角の中で、トムは本当はどちらの側にいるのか。自分を隠し、嘘をつき、マーガレットが頑なに拒否するサイモンとの対決を、もう一度行うように迫る。トムは本当にマーガレットの味方であるのか。

 

トムはマーガレットとサイモンのエージェント、学者などを交えてのトークショーのテレビ番組をサリーと一緒に見ているなかで、マーガレットを追い詰める出演者を次々とサイモンのグルだと非難する。むきになるマーガレットのセリフを言い当て、サリーにどうしてわかったか問われると、超能力者だからさと答えた。

 

サイモンに対して不可解な執着を見せる一方で、トムはマーガレットにも同様の執着を持っていることをのぞかせる。

 

これはトムがいったい何者かという問い対する想像をいろいろな方向へ膨らまさせてくれる場面だった。

 

 

しかし、これらのトムに対する推測はマーガレットの死で一気にフリダシに戻る。

 

話もまた急転直下に進む。トムの周囲でトムは自暴自棄になったかのようにサイモンを追い始め、その周囲では不可解な現象が起こり始める。しかし、トムは全く意に介さず突き進む。ポール・シャクルトン博士によるサイモンの超能力実験の場へ、サイモンが個人診療で使っているアパートへ、そしてサイモンの講演へ。

 

この講演はトムとサイモンの最終対決の場となる。先立ってトムは、学生にシャクルトン博士の実験映像を徹底的に調べるように命じていた。必ず何かあると言い含めて。

 

そしてとうとうサイモンのいかさまが暴かれることとなる。実験映像から何も見つけられずにいた学生のもとにサリーが加わり、テレパシー実験のトリックを暴くことに成功する。

 

時を同じくしサイモンの講演場では、サイモンが用意していたトムを追い払うための仕掛けにかぶせるようにして、より大きな異常事態をトムは引き起こした。サイモンは呆然として、どうやったのだと叫ぶ。ひとりでいる時でさえそうであるかのように振る舞ってしまうまでになった設定を忘れ、トムが投げたコインを受け取ってしまう。それでもなお、どうやったのだと叫び続ける。サイモンは自身が超能力の存在など毛ほども信じていないことを曝してしまう。

 

それに対してトムは、いかさまだと言い放つ。ここに至り冷静さを取り戻し、また嘘をつく。そして講演場を後にする。

 

サイモンは詐欺師で、トムは超能力者だった。これでオチが付いたように見えるが、話はこれで終わりではない。

 

サイモンとの対決の際、トムは自分を偽り生き続けることはできないと、悲痛な叫びをあげた。

彼はいったい、何を偽っていたのか。

 

 

それは、トムのモノローグにより明らかとなってくる。

 

マーガレットの助手を務めていたのは自分に似た人間を探すためだったとトムは語る。

 

トムは周囲に起こる超常的な現象を自分が引き起こしていると自覚する一方で、それが超能力であるのか、それとも科学的に説明のつく現象に過ぎないのか確信を持つことが出ずにいた。他に自分と同じ人間を見つけることができたならば、きっと確信を得ることができる。そうして、マーガレットに近づいた。不純な動機から超常現象ハンターとしてのトムが生まれた。

 

しかし、どれだけ調査を進めても自分と同じ人間はいなかった。

 

かつてマーガレットは、超能力者には2種類の人間がいると語った。自分は超能力者と信じ込んでる人と、自分の嘘が見抜かれないと思っている人。どっちも間違いだと。トムもまた、同じように考えるようになっていた。自身の中に超能力など存在しないのではないか。そうしてトムの中に重大な葛藤が生まれた。自分が引き起こす超常現象に対し目をつぶるようになった。

 

自分を偽ることは、周囲の人間をも偽ることである。そして、自分をだますことに比べれば、他人をだますことははるかに容易なことでもある。

 

そんなトムをよそに、マーガレットは超常現象のからくりを次々と暴き、その手腕を存分に発揮し続けた。トムは、マーガレットが自分と同じ力を持つ人間を見つけ、自分を肯定してくれる日を待つようになっていた。また、マーガレットそのひとが、自分の能力を見つけ肯定してくれることを、あるいは自分の能力はすべて簡単に説明することができ、単なる勘違いだと断じてくれる日が来ることを願ってもいたのだろう。

 

そして、マーガレットでさえ結論を出すことができにずいたサイモンを、トムは無意識に最後の希望のように感じていた。しかし、マーガレットは科学的な、客観的な視点を持ってサイモンに対峙することができなくなっていた。

 

30年前、マーガレットはサイモンに息子の魂の言葉を語られ、茶番と分かりつつも反論することができなかった。科学者として超能力を否定しつつも、彼女は息子と自分を救ってくれる奇跡をなす人物を探し続けている自身に気づいたのだ。

 

マーガレットは息子が横たわるベットのそばで、妄想に対する依存から抜け出せなくなった患者の話をした。いつか自分もそうなってしまうかもしれない。すべてを失ってしまう日がくるかもしれないと気づき、恐怖した。

 

自分を偽って生き続けることはできない。マーガレットはそんな状況にあったが、自分が超能力ハントを続けることができるのはトムがいてくれたおかげだと語った。本当の気持ちを知る前の自分とトムを重ね合わせていたのかもしれない。そして、トムに自分のようになって欲しくなかったのだろう。

 

マーガレットとトムの気持ちは微妙にすれ違っているが、互いを支えあう関係となっていた。

 

(余談だが、トム、マーガレット、サイモンの三人の関係は高野真之ブギーポップ・デュアルを連想させる。)

 

 

最後、トムは自身の能力を否定するがゆえに、マーガレットとその息子を救うことができなかったことを懺悔する。しかし、彼女のやってきたことは報われると語り、病院でマーガレットの息子を生かすために動く機械を停止させる。一時、彼の死を告げる音が機械から響くが、次のトムが病院の廊下を歩くシーンでは心音が戻る。

 

トムは自身の超能力を肯定することを決意し、物語が終わる。

 

科学者対詐欺師の話として始まり組み立てられていくと思っていた物語は、ラストで覆り、遡っていくとすべてがひとりの青年を中心とした人間ドラマのために描かれていたことに驚かされる。

 

 

レッド・ライトというタイトルだが、作中で詐欺師の仕込みを探す場面で説明される。不協和音、場違いなものという意味だ。これはこの映画のいったい何を示していたのか。トムのようであり、マーガレットのようであり、サイモンのようであり、そのどれもないようでもある。この物語に明らかに場違いだと言わせるほどの人物やものはないのだ。では、いったい何がレッド・ライトか。

 

ひねくれた見方ではあるが、この映画にとってのレッド・ライトは、CMであり、ポスターであり、パッケージであり、さまざまなサイトで書かれるストーリー説明であり、この映画を盛り立てる周辺のあらゆるものだったように思う。それらはすべて、観客に間違った先入観を植え付けようとしていたのだ。

 

 

最後に、エンドロールが終わった後に挟まれるワンシーン。トムが住んでいた部屋の窓だと思われる。カーテンが半分しまり、穏やかに風に揺れている風景。

 

最初はよくある会社のロゴだと思っていたのだが、監督が何か意図をもって入れたものであるらしい。だが、何を意図したものかわからない。理屈をつけて説明はできないが、感覚的には、もうこの部屋に何か起こることはない。トムは住んでいないということを示しているように思う。超能力を調査するための機械や資料が積み上げられたこの部屋にトムはもういない、次の一歩を踏み出した、ということではないのかと。